あなたは家事は好きだろうか。
私は面倒くさがりのものぐさタイプなので、好きでも嫌いでもないというのが本音である。
一方で自分の家を整えることは結構好きだったりする。整理整頓は苦手なので季節毎に物の数を減らしながら調整中であるが、掃除は楽しみながらやる部類の家事かもしれない。
そんな掃除について、私と真逆なタイプの石原智葉(マメでしっかり者、常に身の回りを綺麗にしたい)と常々話していることのをシェアしようと思う。
そもそも掃除を億劫に感じるのには理由がある
そもそも家事とは、掃除とは人間が清潔に健康に生きていくために必要なことで、気持ちがいいもの、楽しいことのはず。
「気持ちがいい」ならば、好きな家事になっていてもおかしくない。
なのに、なぜ家づくりを考えるときには苦手意識を感じて「できるだけしなくていい」ことが良いことのようにとらえられているんだろう?
苦手意識を感じてしまう原因の一例としては「私は面倒くさがりだから」という思い込みもあるだろうけど、
- 物自体が重たい、どかせない
- 必要以上に大きい
- 形状やつくりが複雑でそもそもお掃除自体がしにくい
- 埃は見えるのに奥まできれいにできない
- 綺麗にしたとしてすぐにまた汚れが目立ってしまう
…など、「そもそも掃除したくなるように作られていない」こともあるのではないだろうか。
「1.物自体が重たい、どかせない」

掃除をするときにもう少し軽ければ、もう少し広ければ、もう少し手の届く場所で、これが動かせたならと思うことがありませんか。
たとえばタフなキッチンの相棒として採用されることも多い壁付けの換気扇。
手の届く位置に計画し、パーツごとに取り外しができて綺麗にしたら自分で元に戻せるのがいいですね。
「2.必要以上に大きい」
大量消費、たくさんの物を所有することが成功や幸せのひとつの指標としていた時代、家は大きいことが豊かさの象徴でした。しかし、使わないものが詰め込まれた、使われない空間は豊かであると言えるでしょうか。それに、そこに住む人は維持管理していかねばなりません。
空間を持て余さずにつくることは、住む人にとっても賢い選択なのではないでしょうか。

多目的に使えるように計画した6畳ほどの小屋裏の部屋

寝室として使われているようです。
「3.形状や作りが複雑でそもそもお掃除自体がしにくい」

たとえば窓のサッシのレール部分。
砂埃もたまる部分なので、気づいたときに箒や雑巾一枚でサッと掃除できたなら一番楽ちんだとは思いませんか。
写真のような木製サッシはレールのつくりがシンプルでレール幅も広いので掃除しやすいなあと思う。
しっかり掃除をしたい人にとって「4.埃は見えるのに奥まできれいにできない」のは掃除をするときに感じるモヤモヤの最たるものじゃないだろうか。
汚れは見えるのに、手が入らないから届かないから見て見ないふりをするしかないとなると、掃除の度に小さなストレスを感じてしまいそうだ。

拭きこぼし等が考えられるキッチンでは見えないところまで掃除できるのは嬉しい。
「5.綺麗にしたとしてすぐにまたキズや汚れが目立ってしまう」
生活すれば汚れるのは当たり前なので、掃除をすればいいだけの話だけど、そもそもの物の素材自体が傷や汚れが目立ってしまう素材と、目立ちにくく味わいと感じられる素材がある。

よく目を凝らすと布巾あたりに輪染があるのだがむしろカッコイイと思う。
家事や掃除を極力排除するより、手間も楽しめたら人間らしく生きている感じがする
家づくりの際に、これらが予め考えられてるとしたら、なにも大きな問題として家事に対して苦手意識なんて持たなくていいのにな。と会話したのがきっかけでこの内容を取り上げてみました。
便利で高価なお掃除グッズを買いそろえなくても雑巾やほうきでも住まいは十分きれいになるし、「すっきり気持ちがいい」気分は味わうことができる。
はじめから掃除したくなっちゃうように家が考えられていたら、思いっきりきれいにできるし、掃除=億劫なものではなくて、掃除=気持ちがいい、キレイになるのが楽しい!と思えるはずです。