73歳にして何ができるか



わたしの両親は同じ西尾市に住んでいます。はた目には近くてちょうど良さそうですが、毎日顔を見るにはちょっと面倒な距離だと感じています。

最近はちょっとコロナ鬱っぽい。やっぱり外出もせず家に籠りきりでテレビばっかり見ている。

そばで見ていると、まったく良いことなしです。

女性の、最多死亡年齢は92歳だそうです。まだ20年ある。

子供が生まれたら成人して社会にでるぐらいの豊かな時間。母はどのような人生を送るのだろうか?とふと思った。

「こんなことしてみたら?」という問いかけにはすべて「私にはできない」という回答。

いったい出来ることは何だろう?

そうだ、母は料理が得意だったな。料理って家でできて、とても充実した行動だと思ったけれど

そこは、いままでずっと「人の為」に生きてきた母にとって老夫婦の為に作る料理は何の楽しみもない行動なんだろうなと想像できる。

ただ単に「自分の為」に美味しい料理を造り食べるという意識になれれば、全然違ったものになるんだろうなーとおもいつつ、そんな今更メンタルを整える作業を一緒にするには、まだ私には想像ができない。。

そして、外出もせず家に籠っているため、足腰も相当弱っているようだ。

せっかく、特別な内臓疾患がないのなら「心と体を健全に保つ」というのは、老後を迎えた両親には課題にして欲しいと娘は思います。

子供が巣立つとき、親に心配をかけないように元気で居さえすればよい。

それは親も同じことだと、どうしてか思えなくなってしまっている。

昨日、ちょっと顔をだしたら「あなたが来るとコロナのことが怖いから嫌だ」と言われて、その後も用事があったので玄関先で「じゃ、帰るねー」と言ってさっさと帰った私に、後から「さっきはごめんなさい。悪いと思ってもついくちにでちゃって、謝って許してもらわないと夜眠れなくなるから」と弱弱しい声で言われた。

正直、まったく気にも留めていなかったから、びっくりして。

うちの実家は西尾市でも住宅街で、庭はほとんど駐車場。

でも好きなお花を手入れできるように少し花壇があって、いつもきれいにしている所を見ると、そうした時間をもってはいるんだろうけど。。

今朝強く思った。

「人間らしく生きるって大事」

いつ、いかなるときも自分の為に生きられることが何より大切。

そんでもって、余計なことを考える時間を減らすことは、物理的に大事。

瞑想とかは、まさに有効なんだろうけど、もっと強制的にやってしまうのはどうかな?

町中なので、駐車場がないと不便ということで今3台分とってあるけれど、両親はすでに軽自動車一台。

駐車スペースをけずって、家庭菜園をできるだけ大きく作って、土を触る時間をとれるようにしてみようかな。

自分の為に仕事(菜園作業)して、食べて、寝る

強制的に、日光にもあたるし、しゃがんだ姿勢は結構大変で体力作りもできる。

土に向かって体を動かしているときは、思考はなくなり、集中した状態になり夜もよく眠れるだろうか。

自分にミッションがあり、家に依存せず生きられる人は別です

うちの両親は、その土地は先祖からの土地で家を建て住んでいるけれど、少し郊外でゆとりのある大きさの敷地だったらもっと気楽に住んだりできただろうか。それも、本人たちの選択だから良いのだけど。

実際、駅が近くて便利だとは思うけれど、その駅も老後は使わないしね。家の前の少し大きな敷地にお住いの老夫婦がなくなり、更地になったと思ったら4軒の家が着工していました。こちらも以前とはまったく違った緑は全くない計画でした。狭い道路から車を入れるのも大変そうで、老人になったらぶつけそうだ。

うちの親も、最初はバスで出かけたり、も街中は便利と言っていた気がする。

実際は、全然便利さを実感することはなかった。

うちの場合、誰もが年をとる。メリットよりデメリットのが多い。

住むって奥が深い。

子供の通学や、元気な人が通勤するために便利だからと選んだものは、それを失ったときの代償があることをお忘れなく。自分たちがいかに、人生を楽しく全うできるか。

それが、一番周りをも幸せにするのです。

Related Post

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。